modified; 30th/Dec.
古典力学は17c後半、Sir Isacc Newton (1642-1727)が建設した、質量を持った物体の運動を記述する理論である。これは、以来200年余りもの間、西洋の世界観、合理主義の根底を成してきた。20世紀初頭の科学革命を経た今尚、その構造は合理主義の絢爛を見せ付けて止まない。ここではそのアイディアを簡単に見てみる。
Newton力学は、絶対時間とユークリッド空間上で定義されている。力学の目的は、注目している対象(これを系; systemと呼ぶ)の変化・運動を説明・記述することである。例えば、量子力学は量子の運動・変化を記述する事を目的としている。Newton力学の場合、その内容は三つの法則に集約される。順番に説明していこう。
「外力が作用しない限り、直前の運動を維持し続ける」、「同じ速さで一直線に進み続ける、或は静止し続ける」と云うことになる。この運動の様子を表す量として運動量; momentum P(t)
と云う物理量が定義され、慣性の法則は、「外力が作用しない系の運動量は変化しない」と表現される。これはGalileoが発見した法則をNewtonが採り入れたものである。
これは是として、ではその変化は何によって説明されるのか?
系の運動の変化は、Newtonの運動方程式;
dP(t)/dt
= F(t)
……P(t)
;時刻 t
における系の運動量
dP(t)/dt
;時刻t
における運動量の瞬間変化率
F(t)
;系に作用する外力
に従う。この方程式は時間 t
を変数とする一階線形常微分方程式である。
ここで少し脱線して微分の意味に付いて説明しよう。
「微分」=「瞬間的な変化の割合」である。運動方程式の左辺は時間で微分されており、時間的な瞬間変化率である。即ち、時刻 t
~ t+dt
の間に、運動量 P(t)
が変化した量;
P(t+dt) - P(t) ≡ dP(t)
を、時間 dt
で割ったもので、運動量 P(t)
の時間的変化率と云うことだ。
運動方程式;dP(t)/dt = F(t)
を言葉で表すと、
「系の運動量の時間的変化率は、
系に作用する外力に等しい」
と云うことになる。或は、
「系に外力が作用すると、
それに等しい大きさの割合で系の運動量が変化する」
と云う因果律として表現できる。
つまり、もし系に作用する力 F(t)
が良く分っていれば、当該の系の運動量 P(t)
が時間が経つに連れてどのように変化するかが分る。即ち、運動の様子がどのように変化するかが分るので、或る時刻の運動状態さえ分れば、任意の時刻の運動の様子ぴたりと言い当てられることになる。これは因果的決定論に通じるが、それはまた別の話である。
F1
を加える時、F2 = - F1
を受ける」
この法則に因れば、「作用は必ずその反作用を伴う」、「あらゆる物体は、その置かれた環境と相互に影響を及ぼし合っており、孤立する事は有得ない」と云う事になる。
作用・反作用の法則は、作用しあっている物体同志が接していなくても成り立つ。つまり、近接的な作用に限らず、遠隔的な作用に関しても成り立つ。Newton力学では重力や電磁気力が遠隔的な相互作用とされている。
作用反作用の法則では、「作用に対する反作用は、同時に生まれる」とされるので、遠隔的な相互作用を持つ物体間では、御互いの影響が無限に早く届く事になるが、これは相対性理論に反する。
遠隔的な作用を導入することの問題点の一つである。
Newtonの運動に関する三法則;
F1
を加える時、F2 = - F1
を受ける」
以上の三法則を以ってしてNewton力学は完結する。このような形式をNewton形式と呼ぶが、Newton力学はその後幾つかの形式化(Lagrange形式、Hamilton形式)がなされた。何れもNewtonの慣性の法則と運動方程式から出発して、微積分学・解析学に則って形式化したものである。
{qi}
、運動エネルギー; T
、{Qi}
L
→運動方程式
{(qi,Qi),L}
{qi}
、共役な運動量; {pi}
H
→運動方程式
{(qi,pi),H}
Newton力学の形式は、厳密な観測を元に、数学的に正しい演算を運動法則に施せば、厳密に運動が予測可能な形式となっている。
即ち、ある運動が観測されれば、それを原因としてどのような結果が起こるのか、また逆に、それを結果とするどのような原因があったのかが完璧に分かる仕組みになっている。宇宙誕生の瞬間に、その後のあらゆる出来事は決定済みであったことになる。このような因果法則に基いた決定論を、特に因果的決定論と呼ぶ。
以上のように、Newton力学は微積分学=解析学の言葉で書かれている(言葉=理論の枠組み)。これは、自然現象を説明するに当って、オカルト的な遠隔作用を排除した近接作用論に則ったと云うことと同じことである。近接作用のみならば、そこに因果律を見ることも可能である。そのような世界を見る眼差しの事を合理主義的世界観と呼ぶ。
近接作用では、「Aが離れた所に有るZと相互作用する」と云う事は、「Aが接しているBと相互作用し、Bがその作用をCに伝え、CはDに伝え、……、YがZに伝える」と云うように、逐次的に追って行く事で説明される。
近接作用ならば、隣からの影響を直接の原因としてどんどん遡って行けば、(原理的には)最後に大本の原因に行きつけるはずだが、遠隔作用を考えると、何処からの影響で、何故にそうなったのか、原因の掴み所が無くなる。
特に「全ての自然現象がNewton力学と云う因果律に則って理解できるはずである」と云う信念を力学的世界観、或は「総体は部分に分ける事が可能であり、理解は部分と部分との相互作用の解明に他ならない」とする認識を機械論的合理主義的世界観と呼ぶ。
別項でも触れたが、解析的に整備されたNewton力学においては、或る時刻の運動状態さえ分れば、任意の時刻における運動の様子が分ることになる。従って、原理的には宇宙に起こるあらゆる出来事を過去、現在は勿論、未来永劫に渡って知り得ることになる。ここに気まぐれ、偶然は全く入る余地が無い。神は居なくても構わないし、人間の自由意思もまやかしだ。力学的には、人が歩けると云うことは、足が地面を押すからではなく、地面が足を押すからだ。
宇宙誕生の瞬間に、その後のあらゆる出来事が決定済みであると云うことで、17cフランスの数学者・天文学者Pierre Simon de Laplace (1749-1827)はこのことを、「全能ではなくとも、出来事に関して全知の存在が可能である」と表現した。この悪魔をラプラスの魔と呼ぶ。また、ライプニッツは「ニュートンは神を時計職人に貶めた」と言ったとか。
こう云ったNewton力学における合理主義の成功は、人間の自由意思を追い詰めた一方で、「自然は神のしろしめす目的に合致する」と云う合目的自然観=オカルトから、人間精神を理解によって救済することになった。 それまで、自然は人格神エホヴァ=ヤハウェイ=ヤーヴェの目的によって顕れていたのだとすると、Newton力学成立以降、自然は人が理解可能な合理に従って歯車のように運行している自動機械として存在しているのだと云う認識が広がった。ここに、人格の有る気まぐれな神の手に成る豊かな自然は消滅し、機械神=デウス・エクス・マキーナによって一部の隙も無く運行する自動機械が現れたのである。
例えばフランスでは、自然の一部として天与されていた王権も、イギリスから輸入したこの神殺しによって、人為的な=理解可能なものとされた。王権には民衆が理解可能な理由が必要とされるようになった。支持が必要になったのである。フランス革命に付いての一つの説明だ。
微積分法の開発者としてニュートンの他に、ライプニッツの名前も挙がる。この二人の神の存在に付いての解釈や、例外的に遠隔作用として導入された万有引力に対する、デカルトの渦動理論の射程などに付いてはまた別の話である。
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十九世紀末から二十世紀初等にかけて、物理学の世界では二つの科学革命; scientific revolutionsが同時に起こった。相対性理論と量子力学の誕生である。二つの科学革命が同時期に二つ起こったということは、物理学の歴史において非常に特異な現象である。
これらの科学革命は、Newton力学の因果的決定論と、西洋合理主義によって描かれた宇宙の曼荼羅図とを塗り替え、Hilbert programや、科学的実証主義などの、自然に対する力学的合理主義の勝利宣言を揚げんとする構想に否定的な決着をもたらすものだった。
相対性理論は、幾何学における非ユークリッド幾何学の発見、変換群における不変式の研究、電磁気学における光の電磁波説などを苗床として、Poincare, Michelson, Morley, Lolentzらの業績を背景にEinsteinによって発表された。
量子力学は、熱輻射、光の散乱、陰極線、分子スペクトルなどの詳細な解析・研究結果を苗床として、Planch, Compton, Einstein, L. de Broglieらの研究を背景にドイツのコペーンハーゲン学派によって体系化・形式化された。ここで名前が挙がるのは、Scrödinger, Heisenberg, M. Bornらである。
何れも力学的世界観を思考の枠組み=パラダイム; paradigmとして自然の探求を推し進めた結果、その限界に於いて生じた歪みが誕生母体となったものである。物理学における典型的なパラダイム・シフトのように見える。
実験結果や理論など、過去の業績の集まりの事。特に、専門的科学者が、具体的な研究活動に従事する際、拠所とする過去の業績の集合。
科学者は常に何らかの科学者集団に属しており、その集団に於いて正しいと確信され用いられている過去の実験データ、論法などの業績の集まりが存在する。
これは専門教育を通じて、個々の科学者に受け入れられて行く。これを「正しい」と受け入れる事で、専門的な研究活動が可能となる。
アメリカの科学史家Thomas. S. KUHN (1922-1996) の著書「科学革命の構造」(みすず書房)において発表された概念。
Newton力学に則ったLorentz, Planchら古典物理学者達は、観測・検出された異常; anormalyをより精密に取り出してそれに構造を与えようと努力した。つじつまが合わないことがはっきりしても、Newton力学の通常のルールに何とかはめ込んで、それでどの程度上手く行くか徹底的に試してみた。この時点でNewton力学を超克するような相当の成果があがったのだが、Newton力学のパラダイムに住む人たちは数学的に観測結果を説明できてもそれに満足せず、尚Newton力学的背景で説明しようと努力した。従って、その後もその崩壊点を拡大し、よりはっきと、意味深いように見せるやり方を捜し求めた。
しかし、この努力は精力的かつ精密に為されたため、いよいよ理論と観測との間の不整合は広がり続け、遂にNewton力学と根本的に異なる世界観が発表された。これが、Einstein、Schrödinger、Heisenberg、Bornらによる相対性理論と量子力学の誕生だ。その後これらのパラダイムの雛型は、Hilbert, P. A. M. Dirac, Pauliらにより、より精密にパラダイムとして整備されて行った。
以上が19世紀末から20世紀初頭に掛けて起こった科学革命のあらましである。科学革命とは、古いパラダイムから、それと矛盾する新しいパラダイムへの移り行きのことである。
尤も「誰がパラダイムを生んだか」と云う問は無効である。例えば、量子力学誕生に一役買ったEinsteinや、その基本式を提唱したSchrödingerらも、Bornの確率解釈に終生反対したという。Einsteinの「神はさいころを振らない」という科白は夙に有名である。この物議を醸した確率解釈はその後、コペンハーゲン解釈と呼ばれ、Heisenbergの不確定性定理と併せて観測問題として議論の的になったのだが、それは別の話である。
相対性理論は、A. Einstein (1879-1955)の論文「運動する物体の電気力学」(1905)で発表された特殊相対性理論によって始まる。これは加速度を持つ系と重力を扱わない制限された範囲へ適応される運動理論であった。これはNewton力学的世界観の枠組みを抜本的に変更した。相対性理論は、Newton力学的常識からは直感的に隔たった二つの原理を採用し、そこから世界が組み立てられて行く。
相対性理論は、Maxwell電磁気学を土台とする光の電磁波説を、Newton力学的波動で説明しようとした失敗を苗床として成立した。Newton力学的世界観においては、光が波動であるならば、当然その媒質が必要となる。音波が伝わるには空気が、水面の波紋には水が媒質として必要だ。光が伝わる媒質は、古代ギリシアにおける究極物質の名をとってエーテル;Eitherと名付けられた。しかし、Michelson-Morleyの実験(1881-1887)によってエーテルが存在しないことが実証された。光はNewton力学で説明できる力学的波動ではなかった。
相対性理論ではNewton力学における時空間概念を書き換えることになった。
相対性理論によれば、時間と空間は、観測主体の運動の様子によって変化するもので、万人に共通のものではなくなった。さらに、これを合理的に説明するためには、三次元空間の世界から、時間と空間を一つの全体とした四次元空間へ移らなければならない。同時性、過去、未来といった概念は消滅し、因果法則の届く範囲を世界と見なすことになる。
一方量子力学は、黒体輻射におけるPlanchの光量子仮説、Compton効果、Einsteinの光電効果、de Broglieの物質波など、非Newton力学的現象を説明する理論・実験の成功が苗床となり、その後Schrödingerが形式化した波動力学と、Heisenberg、Born、Pauli、Diracらによって形式化された行列力学が統合されて完成した。量子力学は、Newton力学的な「波動と粒子」、「運動の軌跡」といった概念を消し去った。
波動 | 粒子 | エネルギー | 位置 | |
Newton力学 | 干渉、回折 | 衝突 | 連続な値 | 軌跡x(t)
|
---|---|---|---|---|
量子力学 | 波粒;wavicle | とびとび(離散) | 確率をもって分布 |
量子力学によれば、例えば、「ある物体が、ある位置 x
に存在するかどうかは、確率 0.25
である」という。このような物体の状態を記述するために、量子力学では、Schrödingerの波動関数 φ(x,t)
、又はDiracのケット・ベクトル |φ(t)>
(無限次元Hilbelt空間上のベクトル)が用いられる。
Newton力学では、物体は何処か一個所に位置を占めており、原理的には、位置も運動も同時に厳密に分かるはずだ。量子力学では、位置は空間に波動として広がってると解釈される。原理的に、位置と運動は、ある程度の誤差の範囲内でしか決定できない。これをHeisenbergの不確定性定理と呼ぶ。ここで、Newton力学的世界観、因果的決定論が部分的に破綻することになった。
現代物理学の幕開けの思想的影響に付いては、また別の話である。